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- カテゴリー「歴史に触れる(歴史・文化)」
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加西市エリア
法華山一乗寺
7世紀創造の古刹 優れた仏教文化の宝庫。白雉元年(650年)の創建。天竺の高僧、法道仙人の開基と伝えられる天台宗の名刹で、西国三十三観音霊場第26番札所にもなっています。国宝の三重の塔は、平安時代末期に建てられた兵庫県内最古の塔といわれ、藤原様式の名建築です。ほかの建物も貴重なものが多く、本堂(金堂)、護法堂、妙見堂、弁天堂は重要文化財に指定されているほか、国宝「聖徳太子及び天台高僧画像」を所蔵しています。
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多可町エリア
加都良神社
加都良神社は、延喜式に記載された式内社と言われています。古くは高田郷4か村の郷社でしたが、現在は、間子1か村の氏神となっています。社殿はこの地域では珍しい神明造りで、拝殿には天保13年に行われた盛大な大祭を描いた絵馬が残されています。
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多可町エリア
大石良雄の石垣(西谷公園)
西谷公園には江戸時代のものと考えられる池の堤防跡が残っており、石垣には算木積みなど、城の石垣に使われる手法が用いられています。中三原・上三原・柳山寺は三原地区と称され、かつて赤穂藩領でした。そのためか、この池を大石良雄(内蔵助)が見に来たことがあると伝えられ、石垣は「大石の石垣」として親しまれています。
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多可町エリア
敬老の日提唱の地の石碑
昭和22年(1947)、当時の多可郡野間谷村の村長だった門脇政夫によって、お年寄りに敬意を表するとともに、知識や人生経験を伝授してもらう場を設けるため、「としよりの日」が制定されました。その後、全国に広がり、昭和44年(1966)に「敬老の日」として国民の祝日に加えられました。多可町では敬老の精神を大切に受け継ぎ、八千代プラザの玄関脇には「敬老の日提唱の地」と刻まれた記念碑が建立されています。
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多可町エリア
上三原毘沙門堂
かつては西光寺毘沙門堂といい、御本尊は毘沙門天です。江戸時代初期に火災にあい、現在の建物は元禄14年(1701)に再建されました。現在、楊柳寺法寺院に保管されている般若十六善神画像は南北朝時代の作品で、兵庫県の指定文化財となっています。また、境内には樹齢150年を超える楠木やモリアオガエルの生息する池が存在するなど、自然豊かな森が残っています。
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多可町エリア
楊柳寺
柳山楊柳寺(俗に柳の観音さん)は白雉年間(6世紀半ば)法道仙人の開基を伝える古刹で、法道仙人が山麓の柳の大木から光りを放っている菩薩を見つけ、その尊像を柳の木に刻んだという故事があり、山号を柳山と称しました。一大霊刹として隆盛を極めましたが、天正年間、野間城落城の際に消失しました。この時、貴重な仏像が運び出され難を逃れました。県指定文化財となっている平安時代の木造十一面観音立像三体・木造兜跋(とばつ)毘沙門天立像・木造毘沙門天立像・木造千手観音立像等六体を今に伝えています。周辺にはシイノキ、 ツクバネガシを主体に、イズセンリョウやタマミズキなどの貴重な 樹木も見られる自然林が広がっています。 この森は、かつて薪や炭の原料をとる生活の場として、また、楊柳寺の鎮守の森としても親しまれてきました。この里山では、まずナンテンやチャノキが林床にみられる荘厳なスギ林に出会えます。その’ナンチャ’広場には、ヤンチャな子どもたちも集えるようテーブルベンチを設置しています。また屋根筋には地域の美しい景観を望める展望あずまやがあるほか、ヤマモモやシイノキの大木や実のなる木もみられます。そして散策路は、山頂にあずまやがある観音山へと続いています。山すそ沿いには、大きな松ぼっくりのテーダマツや竹林など多様な森とふれあえる高低差の少ない散策路もありますのでご利用下さい。
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下三原貴船神社
天文10年(1541)に中野間の貴船神社から分社して祀られるようになったと伝わっています。現在の社殿は、江戸時代初期、寛文12年(1672)に淡路の大工により建てられました。毎年元旦に行われる「雨散散(うばらばら)」と呼ばれる花振り神事は、地域住民の手で今も引き継がれている伝統行事で、兵庫県無形民族登録文化財に認定されています。
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中野間貴船神社
中野間、仕出原、下野間の3か村の氏神で、慶長の検地帳に記載が残る神社ですが、創立年代は不詳です。また、この鎮座地「花の宮」という地名は、『播磨國風土記』にある花波神と関係しているものと伝えられています。近世の頃から、流鏑馬が行われており、現在も、馬に乗り矢を射る伝統行事が引き継がれています。氏子3集落の青年たちが手作りする大きなしめ縄にも注目です。
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光竜寺山城跡
室町時代中期から戦国時代にかけて築かれた山城跡で、西にそびえる野間山城とともに、戦国時代には在田氏が本拠地を構えたと考えられています。曲輪や土塁付竪堀などを備えており、建物跡と思われる石列が残っています。エアレーベン八千代付近に入口があり、山城跡までは徒歩20分で、城跡からは八千代区南側の展望が開けます。
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極楽寺
白雉2(651)年、法道仙人の開基と伝えられています。現在の仁王門は18世紀半ばに建立されました。鎌倉時代後期の作である国指定重要文化財の六道絵を はじめ、釈迦涅槃図や曼荼羅図が多く残っています。六道絵は3幅が連幅となっている鎌倉末期の絵画で、画面上方に十王が位置し、その下に六道の様子が示されています。地獄は3幅にわたって描かれていて、六道最大の見せ場になっています。特に阿鼻地獄は中央幅の大部分を占めています。
国指定重要文化財 六道絵 http://www.takacho.jp/nakafureai/rokudoue.htm
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野間山城跡
天正3(1575)年、野間城主・在田源之承宗晴(ありたげんのじょうむねはる)は三木城主・別所重宗(べっしょしげむね)と戦い落城しました。 野間山城の最大の特徴は、両尾根の郭郡とそれに挟まれた谷の大手道が構成する構造で、別名「鶴琳城(かくりんじょう)」と呼ばれています。城跡からは輸入磁器、備前焼、碁石、アカニシ貝などが採集されており、これらの遺物から戦国時代に機能していたことが知られています。また、毎年元旦には、ご来光のつどいを開催しています。初日の出を拝みたいという参加者がたくさん集まり、ご来光登山を楽しんでいます。かつて城門があったと想定される「大手虎口」へ続く登山道「大手道」は、極楽寺から谷に沿って登ります。 つづら折れの道が続く急斜面になっており、敵を迎え打つために都合よくできていました。 現在は俵田県道から一番東側の「本丸敷」へ直接登る登山道が整備されており、こちらが一般的です。 谷道の大手道に対して、こちらは尾根道で歩きやすくなっています。 城跡には防御のための堀切や、石垣の一部、石積みなどが残っています。
光竜寺山城跡:http://www.kita-harima.jp/modules/xdirectory/singlelink.php?cid=109&lid=109
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中村貴船神社
創立年代は不明ですが、延宝4年(1676)の本殿建立時の棟札が残り、また、16世紀末に豊臣秀吉が陣太鼓を寄進したという言い伝えがあります。秋の祭礼時に行われる「リョンリョン」は「王の舞」の系譜を引くもので、中世の伝統を残す貴重な祭礼行事となっています。
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