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八幡神社獅子舞

幡神社は加西郡史によると、勧請は永正二年(1505年)といわれ、由緒から飾東郡松原村(姫路市白浜町)鎮座の神を分霊したものと思われます。
 獅子舞は、明治20年小野市来住町から伝わったもので市の民俗文化財の指定を受けています。
 伝承されている舞は13演目ありますが、中でも「谷渡り」は、6mの梯子を山形に組み、その段上で舞うもので迫力満点です。

弁慶の足跡

跡部の美嚢川に近い田の畦道に二つの大きな石が立っています。その一つには人の足跡のような窪みがあり、弁慶の足跡と呼ばれています。
加東郡の三草山の戦いで敗れた平家軍は三木を縦走して一の谷へ逃げのび、これを追う源義経軍も三木を通ったといわれていることから、このような伝承が生まれたのでしょう。
二つの石の表面には仏像が刻まれ野仏となっていますが、古絵図によるとこの場所は廃寺となった常蓮寺山門の跡とおもわれます

脇川の念仏水

清水が湧き出で小川となることから、脇川の地名が起こったとされる念仏水。お堂を建て「念仏井戸」として祀られ、今も清水が湧き出ています。
むかし、空海(弘法大師)が修業でこの地を訪れたとき、近くに住む老婆に飲み水を所望したところ、老婆は乏しい水を快く差し出しました。空海は喉の渇きを潤せたお礼として杖で地面を突き刺し、水を湧き出させ村人を救ったという伝承が残っています。また、この井戸に念仏を唱え、井戸底より泡が湧き上がる者には願いが叶うとも云われています。

どっこいさん[六地蔵]

高さ1.3m、幅1.5m、上部に35体、下部に6体が線刻されている。石材は横にある横穴式古墳の天井か蓋石であったらしい。地元での呼び名は「どっこいさん」

松か井の水

昔、幕府の直轄地であった松井庄(加美区南部)は、生野代官所の管轄にあったこともあり、生野への道である奥荒田から越知谷に通じる高坂は、交通の要所として人の行き来が盛んでした。その坂の途中に松か井の水の飲み場がありました。この清水は『水のみの水』という通称で親しまれ、坂道を行き来する人は、必ずそこで水を飲んでいました。現在においても、より美しくよりよい環境のもとで水を汲んで欲しいとの願いから、平成13年環境整備を行いました。以降、集落でも年5回程度、掃除・植木の剪定などを行い、四季折々の風情豊かな自然を大切に守っています。この取組が認められ平成20年度に「平成の名水百選」に選ばれました。

鍛冶屋線記念館

市原~鍛冶屋間を結ぶ播州鉄道として大正12年に誕生。播丹鉄道、更にJR鍛冶屋線と改称。人々の足として暮らしを支え、親しまれてきた鍛冶屋線は平成2年3月、惜しまれながら廃止されました。
線路跡地は、その一部約2kmがカラフルな歩道、かわいいアーチが見所の「歩っ歩の道」として整備され、多くの人々がウォーキングを楽しんでいます。
また終着駅である鍛冶屋駅舎をそのまま記念館として残し、車両の一部が展示され、その足跡を知ることができるようになっています。

孝行のメッセージ

平成7年、『孝行』の発信基地として『森安こはる』生誕100年の年に、『こはる公園の整備』と『孝行祭り』を開催しました。また、翌年、平成8年からちょっと照れくさい孝行のメッセージの全国公募を開始しました。

森安こはるさんとは、とても親孝行な女性で、その行いに対して大正4年、婦人世界社が日本3孝女に選定し、県知事賞を受けられた方です。4歳の時に母親のいない家に養女に来たこはるさんは、家の仕事をよくし、また父親が怪我をして働けなくなった時は、仕事に出て自分の食事を我慢してでも父親に食べさせたと言われています。

孝行のメッセージは、北は北海道、青森から南は沖縄、鹿児島、宮崎などまさに全国から寄せられています。審査員は村人で、気に入った作品の上に碁石を置いて決定します。平成8年から12年の5年間に13,305通のメッセージが寄せられ、そのうち156通を厳選し『ちょっと照れくさい 孝行のメッセージ』(家の光協会から1冊1,260円)を全国発売しています。

敬老の日提唱の地の石碑

「敬老の日」発祥の町 多可町
多可町は「敬老の日」発祥の町です。高さ約2㍍の石碑が現在も八千代公民館の玄関脇にあり、前面には「敬老の日提唱の地」と彫り込まれています。戦後の動乱期、野間谷村(旧八千代町)で初めて村主催の敬老会を開催し、長い間社会に貢献されてきたお年寄りに敬意を表すとともに、知識や人生経験を伝授してもらう場を設けました。そして、9月15日を「としよりの日」と定め、村独自の祝日とすることにしました。その後、昭和41年、「敬老の日」は体育の日などとともに国民の祝日に加えられたのです。多可町ではこの敬老の精神をこれからも大切に受け継いでいきます。

加都良神社

ご祭神は加都良之命で、家内安全、開運招福などのご利益があるといわれています。
創立年月日は定かではありませんが、江戸初期もしくはそれ以前の創立と推測されています。
この神社では、昭和のはじめごろまで鶏合わせが行われていました。
元日の朝、お当が八柱権現の前で「大事小言、村まんべんに、五穀成就」と唱え、元気に暮らせるよう拝んだ後に、鶏を合わせ、鶏の鳴き声で豊作を占いました。
その後、加都良神社での鶏合わせはすたれましたが、町の播州柏保存会により大切に保存・飼育されています。また、平成元年には町文化財に指定され、種の保存が図られています。

銅精錬所跡展示館

西播磨から中国地方へかけての製鉄地帯に対して、東播磨から但馬、摂津の地方は、生野・明延・摂津・多田に至るまで、産銅地帯として知られています。その中でも多可郡は生野鉱床帯に属し、明治時代には御料局の生野探鉱地7郡(養父・朝来・出石・多可・神東・神西・宍粟の諸郡)のうち、特に『鉱産の魁たり』と評されました。多可郡の鉱山は、中区北部にそびえる妙見山と加美区南部の豊部・多田付近の山塊に集中していました。
昭和57年4月、中区『入角山』の石垣山で、県立余暇村公園の建設が着手され、同年6月埋蔵文化財の分布調査が行われた結果、余暇村の中央を流れる小さな谷川を馬蹄形に取り囲んで、推定2万㌧に及ぶ大量のカラミ堆積が見出されました。この牧野集落一帯は古くより鉱山の町として栄えたところで、石垣山遺跡をはじめとして妙見山のあちらこちらに坑口、ズリ、カラミなどが見られます。その他に、生活にかかわる遺跡として、建物跡、墓地、道標、神社跡、井戸などがあります。
北播磨余暇村公園

凍りこんにゃく

戦前は保存食として重宝され、周辺には約400軒の製造業者がありましたが、現在は丹治集落にある1社のみとなっています。凍りこんにゃくは厳しい冬(通常11月中旬~3月中旬)に「凍結」させて「解凍」させる作業を繰り返して出来上がります。
藤田平右衛門氏は観音寺出身で、特に凍りこんにゃくの振興に力を入れました。おかげで、当地の特産品の一つとして知られるようになりましたが、製造方法が悪くて売れず、ついに倒産者が出る始末でした。そこで平右衛門は、多可・氷上・加西・神崎の4郡の同業者を集めて組合を作り、自ら組合長として製造方法について研究を重ね、品質を改良し検査方法を定めて統一規格で販売できるようにし、販路の拡張にも努めました。その結果、当地方の凍りこんにゃくの名声は高まり、利益が増え、主要産業としての基礎が確立しました。こうして、組合基金を驚異的な七万余円にまで育て上げました。
兵庫県凍りこんにゃく同業組合では、平右衛門氏の三十年もの永きにわたる功績を称え、子爵の加藤高明氏に題字を、農務局長道家斉氏に撰文を依頼し、大正8年に顕彰碑を立てました。今では、門村の島田橋から観音寺地内に移され、郷土の特産品の歴史を物語る由緒ある石碑です。

ゆるぎ岩

その昔、法道仙人が「善人が押せば動き、悪人が押してもびくともしない。この岩を押して動かないときは自分に邪心があるから、罪悪を懺悔して正直慈悲の人に立ち返りなさい」と言って心を試させたと伝えられています。ゆるぎ岩は、畑町イザナギ山の中腹にあり、昔から「ゆすり岩」ともいわれ神石とされてきた岩である。岩は二つならんでいるが、東方の岩が「ゆるぎ岩」で、丈夫が尖って中部でふくらみ、下部が細くなった立卵形の高さ4メートル、最大周囲6.6メートルをはかる巨岩です。下にある岩の上に直立しておいたようになっており、人の力で押すと揺れ動くので、この名がつけられています。