北播磨ゆかりの先人
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吉川町は、前衛書道の創始者であり、書道界の発展に大きな功績を残した上田桑鳩のふるさとです。
書に生き自分を律し続けた桑鳩の人生は、常に前向きで新しいものに挑戦する執念と情熱にあふれていました。独自の書風は見る者を魅了し、希望を与えてくれるような力強さに満ちています。偉大な書道家上田桑鳩にあやかり、書道を通じたまちづくりにも取り組む吉川町、みんなが気軽に書にふれ楽しさをわかちあえる「墨華香るまちフェスティバル」を毎年開催しています。
その中で「みなぎの書道展」は、兵庫県下各地から幼児から高校生までの作品6000点以上が寄せられる展覧会です。また、上田桑鳩にちなむ「記念展」など関連行事も行われています。
墨の香りがどこからかただよってくる、そんな日常が吉川には宿っています。
江戸時代中期には、悪政がしきりに行われ生野代官の年貢取り立てがきびしく、庄屋の夏梅太郎右衛門は、再三、代官にお願いしましたが一向に聞き入れられず逆にとらわれの身となり、この地において処刑されました。時に明和元年(1764年)6月25日。以降、暴政は止み、村人達は安心して生活ができました。彼を慕って小さな祠を建てましたが、彼の稀なる志を忘れることのないように有志が立ち上がり、明治44年7月20日にこの石碑を建立し後世に永く伝えています。その後、平成15年新顕彰碑を建立し除幕式を行いました。
平成7年、『孝行』の発信基地として『森安こはる』生誕100年の年に、『こはる公園の整備』と『孝行祭り』を開催しました。また、翌年、平成8年からちょっと照れくさい孝行のメッセージの全国公募を開始しました。
森安こはるさんとは、とても親孝行な女性で、その行いに対して大正4年、婦人世界社が日本3孝女に選定し、県知事賞を受けられた方です。4歳の時に母親のいない家に養女に来たこはるさんは、家の仕事をよくし、また父親が怪我をして働けなくなった時は、仕事に出て自分の食事を我慢してでも父親に食べさせたと言われています。
孝行のメッセージは、北は北海道、青森から南は沖縄、鹿児島、宮崎などまさに全国から寄せられています。審査員は村人で、気に入った作品の上に碁石を置いて決定します。平成8年から12年の5年間に13,305通のメッセージが寄せられ、そのうち156通を厳選し『ちょっと照れくさい 孝行のメッセージ』(家の光協会から1冊1,260円)を全国発売しています。
明治35年4月加美区清水に生まれ、中央大学卒業後アララギ派の斎藤茂吉に師事。 歌碑には遠く故郷を偲んだ詩が刻んであります。
『春の雪 峰降りしつつ寒からむ わがふるさとの村を思へば』
『我が生まれし 杉原谷に棲む鹿は 昼さへ村にいでにけるかも』
江戸時代の儒学の祖といわれる藤原惺窩は、徳川家康に進講し、徳川三百年の歴史に大きな影響を与えたといわれています。
また、惺窩を師と仰ぐ著名な人物は数多く、官学の祖とうたわれた林羅山もそのひとりです。天下の大学者・惺窩の生まれた細川町には「生誕の地」の石碑と銅像が建てられています。