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国宝・国指定
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7件中 1~7件を表示

五峰山 光明寺

播磨平野を一望できる五峰山の頂上付近に本堂があります。
真言宗の古刹で「播磨高野」とも呼ばれており、初夏には新緑、秋には紅葉がきれいです。
祈願成就のかわらけ投げもできます。

国宝・浄土寺

 浄土寺は、鎌倉時代、建久3年(1192)に、源平合戦の兵火により焼失した東大寺を再建するための責任者(勧進職)となった重源上人が建立した寺院です。浄土堂は、大仏様という技法を全国で唯一伝える貴重なお堂です。本瓦葺、宝形造の建物で、屋根の勾配が直線的に下り、外観は低く見えますが、内部に入るとその広さに驚かされます。柱間は6mと広く、天井を張らない化粧屋根裏や太い柱に挿された挿肘木(さしひじき)で虹梁(こうりょう)を支えているのが特徴です。また、西側の壁部は蔀戸となり、中央の円形須弥壇上に配された本尊の阿弥陀如来及び両脇侍立像に夕日の光を当て、来迎の姿を表現する構造となっています。信仰の場であるとともに、自然の光を使った芸術、オブジェともいえます。
 国宝・阿弥陀如来及び両脇侍(観音・勢至)立像は、名仏師の快慶の作で、浄土堂の本尊となる巨像です。衣紋や長く延びた指などに中国、宋の様式が感じられます。西の蔀戸から西日が差し込むとその光が本尊を赤く染めます。さらに足元の雲座あたりをかすませ、本尊が雲に乗って浮かんでいるように見えます。まさに西方浄土の姿を人々に伝えるために造られたものといえます。 
6、7月には林道をあじさいが彩ります。

東光寺田遊び鬼会

白雉二年(651年)法道仙人による開基である万願寺が天文七年(1538年)の兵火により消失し、南の坊のみが再興されました。これが東光寺です。
田遊び・鬼会は、毎年1月8日午後7時頃より始まります。室町末期頃には既にあったと思われ、その後中断と再開を繰り返してきました。国指定無形民俗文化財に指定されています。
  田遊びは五穀豊穣を祈る儀式であり、農作業のしぐさを奉納します。
  鬼会は悪霊や災難を追い払うもので、たいまつや矛を手にした鬼が現れ、激しく暴れまわります。

極楽寺

白雉2(651)年、法道仙人の開基と伝えられています。現在の仁王門は18世紀半ばに建立されました。鎌倉時代後期の作である国指定重要文化財の六道絵を はじめ、釈迦涅槃図や曼荼羅図が多く残っています。
六道絵は3幅が連幅となっている鎌倉末期の絵画で、画面上方に十王が位置し、その下に六道の様子が示されています。地獄は3幅にわたって描かれていて、六道最大の見せ場になっています。特に阿鼻地獄は中央幅の大部分を占めています。
国指定重要文化財 六道絵

法華山一乗寺

7世紀創造の古刹 優れた仏教文化の宝庫
白雉元年(650年)の創建。天竺の高僧、法道仙人の開基と伝えられる天台宗の名刹で、西国三十三観音霊場第26番札所にもなっています。国宝の三重の塔は、平安時代末期に建てられた兵庫県内最古の塔といわれ、藤原様式の名建築です。ほかの建物も貴重なものが多く、本堂(金堂)、護法堂、妙見堂、弁天堂は重要文化財に指定されているほか、国宝「聖徳太子及び天台高僧画像」を所蔵しています。

酒見寺

 天平17年(745年)行基菩薩の開山と伝えられています。当寺は度々兵火に焼かれていますが、中でも天正年間の三木攻めの際の兵火では境内ことごとく焦土と化したといいます。その後再興されたのが現在の伽藍です。このような兵火にあいながらも、寛文2年(1662年)に再建された国重要文化財の多宝塔(写真)や、県重要文化財の鐘楼など見事な文化財を有しています。
 また、仁平3年(1153年)の旱魃のとき近衛天皇の勅願により播磨六山(書写、増位、八徳、妙徳、法華、蓬莱)の僧が集まり、大般若経を読んで雨乞いをすると、たちまち雨が降り、それ以後は毎年勅使を迎えての恒例行事になったといいます。隣接する住吉神社の勅使塚はその記念塚です。

黒谷若宮八幡宮

 昭和37年に国の重要文化財に指定されました。
 三間社流造、正面軒唐破風付、柿葺で唐破風の桁は向拝から身舎へ登りにかかっており、このような流造で登桁を用いた唐破風造形式の神社建築は全国でも数例しかありません。