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神社・寺
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70件中 1~20件を表示

上三原毘沙門堂

柳山楊柳寺法寺院の飛地蔵内所属の仏堂。県指定文化財である 絹本著色の般若十六善神画像はここに展示されています。かつて存在していた鐘の銘から、鎌倉時代末期には既に毘沙門天が祀られていたことが分かっています。江戸時代初期に火災にあい、現在の建物は元禄14(1701)年に再建されたものです。般若十六善神は南北朝時代の作品です。なお、この地には「雨乞いの鐘」があり雨乞い伝説が残っています。
県指定有形文化財 般若十六善神画像

上鴨川住吉神社

 国指定重要文化財の本殿は、三間社流造、桧皮葺箱棟銅板包みで室町時代中期建築物の特徴をよくとどめています。
 23年度から10月第1(土)(日)に変更となりました。両日には、能楽のルーツといわれる神事舞が奉納されます。

下三原貴船神社

五穀豊穣を願う伝統行事「雨散散」
天文10(1541)年、中野間・花の宮貴船神社から分社したと伝えられています。 今の本殿は江戸中期・寛文12(1672)年、淡路浦村(現・東浦町浦)からの出稼ぎ大工たちによって建てられました。重厚な建築は当時の技巧を知る貴重な遺構です。元日に行われる雨乞い行事、雨散散(ゆうばらばら)を民俗行事として伝承しています。
これは、天明年間(1781~1789)に大干ばつに見舞われたとき、村人一同が氏神の八幡菩薩に雨乞いと豊作を祈願したことが始まりであると伝えられています。村人はフジ蔓で作った輪をつけたシキミの枝に神主から雨(お神酒)を振りかけてもらい、その枝を持ち帰り田畑に刺してその年の五穀豊穣を願います。

中村貴船神社

赤面隆鼻の面(天狗面)をつけ、長方形の花笠をかぶり、褐色の舞鶴紋のある衣を着た龍王が八尺あまりの木槍を振り回しながら神社の庭を飛び回る「龍王の舞い(りょんりょん)」で有名な神社です。龍王は、大昔天からやってきて排水路や田畑の区画測量をした猿田彦命だと言われています。 伝説として、太閤秀吉が貴船神社に参拝し、陣太鼓1個を寄進したとも言われています。

中野間貴船神社

氏子は中野間・下野間・仕出原の三集落にまたがっています。祭事には馬駆け(流鏑馬)、屋台の練り込みが行われています。馬駆けについては、その昔、土地の豪族が五穀成就の吉凶を弓矢の的にかけて試したという故事にならって、毎年三集落が交替で当元をつとめる習慣になっています。まず、塩ふりが道先を清め「馬乗り」が弓矢で的を射て参道を三往復します。
昔は参道の両側を参詣人が取りかこみ、馬の尻を竿や竹でたたいて狂奔させて盛り上げることが習慣だったようです。

五峰山 光明寺

播磨平野を一望できる五峰山の頂上付近に本堂があります。
真言宗の古刹で「播磨高野」とも呼ばれており、初夏には新緑、秋には紅葉がきれいです。
祈願成就のかわらけ投げもできます。

伽耶院

神姫バス伽耶院口下車徒歩10分。大化年間(7世紀半ごろ)、法道仙人が毘沙門天のおつげによって創建したという神秘的なお寺。本堂、多宝塔、三坂明神社本殿、木造毘沙門天立像は、いずれも国の重要文化財となっています。体育の日の採燈大護摩には、山伏姿の修験者が近畿一円から集まり、全山にホラの音がこだまします。紅葉も美しい。
数少ない修験道の寺  
志染町大谷にあり、志染川をはさんで、志染の窟屋の反対側に、このあたりでは数すくない修験道の寺がある。寺伝によると、法道仙人が毘沙門天のおつげで、大化年間(七世紀半ごろ)に創建したといわれ、中世にはかなり栄えたらしい。しかし秀吉の三木城攻撃のとき、ここの東南にある丹生山明要寺とともに兵火にかかって一山ことごとく焼失してしまった。その後江戸時代に姫路城主池田輝政や明石城主小笠原忠真らに帰依され、一部が再建されて現在にいたっている。
体育の日は関西一円の修験者が山伏姿で集まり全山にこだまするホラの音、もうもうと立ちこめる煙の大護摩で参拝者が各地から集まる。
花山天皇の行幸もあり、全盛時代は数十の堂宇、百三十余の坊があったといわれている。
6月下旬にはハギ、アジサイ、菩提樹が満開になります。

住吉神社北条節句祭

養老元年(717年)老翁老媼の神様が五王子を伴い鎌倉山(河内町)に来られました。随従していた佐保神は北条へ行くように勧め、その途中神宝を盗んで、川東に逃げました。この佐保神が祀られ佐保神社(社町)になりました。
  その後、翁と媼は王子を伴い北条に来られて、北条に六町歩の門田を持つ山酒人に宿泊を願い出ました。酒人は手厚くもてなした後、神である証拠を見せてほしいとお願いしました。すると、翌朝には六町歩の門田が悉く平地となり、苗が大きな松に変わりました。ここに山酒人が神殿を造り祀ったのが住吉神社(当時は酒見神社で明治期に改称)だといわれてます。
  この住吉神社で桜の季節の訪れとともにはじまる「北条節句まつり」は優美さと勇壮さが織りなす華やかな春の祭りとして有名で、播磨三大まつりの一つに数えられ、長い伝統を引き継いでいます。東西の神輿、14台の豪華な屋台が、街中での巡行と勇壮な宮入を行い、古式ゆかしい鶏合せ神事、龍王の舞などが奉納され、祭りは終日大観衆でにぎわいます。

佐保神社

 北播磨第一の大社といわれ、「やしろ」の名前は当社の門前町として発展してきたことに由来します。
 毎年10月の体育の日の前日に催される秋まつりは、御輿や化粧屋台が境内を練りまわります。

八幡神社獅子舞

幡神社は加西郡史によると、勧請は永正二年(1505年)といわれ、由緒から飾東郡松原村(姫路市白浜町)鎮座の神を分霊したものと思われます。
 獅子舞は、明治20年小野市来住町から伝わったもので市の民俗文化財の指定を受けています。
 伝承されている舞は13演目ありますが、中でも「谷渡り」は、6mの梯子を山形に組み、その段上で舞うもので迫力満点です。

兵主神社

10月第2日曜に例大祭
「ひょうすさん」と地元の信仰が厚く、羽柴秀吉の三木城攻略では家臣が戦勝祈願に訪れたと伝えられています。

円満寺

法道仙人が開基といわれている高野山真言宗のお寺です。
室町時代の大火で消失しましたが、慶長14年(1609年)、明覚上人によって中興されました。明覚上人は仏様の夢のお告げを受けて、円満寺の建て直しを行ったとされています。その頃、物の怪に苦しめられていた姫路城主、池田輝政公のもとに出向き、祈祷を行った明覚上人。数日後、物の怪はあらわれなくなり、輝政公は大変感謝し、円満寺にたくさんのお礼を供えたそうです。
また、円満寺には1本のイチョウの木があります。この木は「乳の木」と呼ばれ、母乳不足の婦人たちが祈願すると必ず乳を授かったと言われています。見るからに霊木という雰囲気が漂っています。なお、本堂には、薬師三尊が安置されています。

加都良神社

ご祭神は加都良之命で、家内安全、開運招福などのご利益があるといわれています。
創立年月日は定かではありませんが、江戸初期もしくはそれ以前の創立と推測されています。
この神社では、昭和のはじめごろまで鶏合わせが行われていました。
元日の朝、お当が八柱権現の前で「大事小言、村まんべんに、五穀成就」と唱え、元気に暮らせるよう拝んだ後に、鶏を合わせ、鶏の鳴き声で豊作を占いました。
その後、加都良神社での鶏合わせはすたれましたが、町の播州柏保存会により大切に保存・飼育されています。また、平成元年には町文化財に指定され、種の保存が図られています。

十三重の石塔

鎌倉期に建立された石塔。無念の死を遂げた木曽義仲の供養塔とも伝えられています。

善光寺の大イブキ

平安時代の建立といわれる善光寺境内に、高さ17メートル、枝張り東へ5.9㍍、西へ7.8㍍、南へ6.5㍍、北へ8.1㍍の巨木(大イブキ)があります。
約400年前に明智光秀が寺を攻めた際、このお寺の薬師堂に火を放ちましたが、祀られている薬師如来は少しも燃えなかったそうです。怒った光秀が突き立てた杖が根を張り、イブキの大木になり現在に至っていると伝えられています。
イブキはヒノキ科に属し、本来は海岸近くに分布する樹木ですが、内陸部でこのように大きくなっているのは珍しいとのことです。
県指定天然記念物 善光寺のイブキ

国宝・浄土寺

 浄土寺は、鎌倉時代、建久3年(1192)に、源平合戦の兵火により焼失した東大寺を再建するための責任者(勧進職)となった重源上人が建立した寺院です。浄土堂は、大仏様という技法を全国で唯一伝える貴重なお堂です。本瓦葺、宝形造の建物で、屋根の勾配が直線的に下り、外観は低く見えますが、内部に入るとその広さに驚かされます。柱間は6mと広く、天井を張らない化粧屋根裏や太い柱に挿された挿肘木(さしひじき)で虹梁(こうりょう)を支えているのが特徴です。また、西側の壁部は蔀戸となり、中央の円形須弥壇上に配された本尊の阿弥陀如来及び両脇侍立像に夕日の光を当て、来迎の姿を表現する構造となっています。信仰の場であるとともに、自然の光を使った芸術、オブジェともいえます。
 国宝・阿弥陀如来及び両脇侍(観音・勢至)立像は、名仏師の快慶の作で、浄土堂の本尊となる巨像です。衣紋や長く延びた指などに中国、宋の様式が感じられます。西の蔀戸から西日が差し込むとその光が本尊を赤く染めます。さらに足元の雲座あたりをかすませ、本尊が雲に乗って浮かんでいるように見えます。まさに西方浄土の姿を人々に伝えるために造られたものといえます。 
6、7月には林道をあじさいが彩ります。

大宮八幡宮

天永2年(1111)、月輪寺院主慶算創建(伝)。三木別所氏累代の守護神であったが、天正の兵乱で焼失。天正13年(1585)に中川秀政が再建、以後三木5ヵ町他の産土神となった。
1月の第3日曜日には、鬼追い式が行われる。また体育の日の直前の土・日曜日は勇壮な秋まつりが行われる。

天津神社

平成15年12月に改修工事を終えました。
延徳4年(1492)建立、正面一間、側面二間、入母屋造、妻入り向拝、檜皮葺付。
細部の彫刻や彩色のあとも残っており、村人が一致協力してつくったという記録も残っています。

天目一神社

天神社

天神社は平安時代、当時このあたりの領主であった源頼政公が菅原道真公を祀った神社で、氏子は奥中、茂利、徳畑、中村町の4集落です。
閑静な山の中に立ち並ぶ、樹齢数百年の杉木立が神社の周りを囲み、神が降臨されてきそうな雰囲気です。
春には毎年、天神祭りが行われ、当日は屋台が出て、一旦、北山麓の「御旅所」に奉納され、巡幸して祭祀が進められます。
氏子の3集落の屋台が打ち揃っての奉納は豪壮で大いににぎわいます。