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庭園

観光・宿泊スポットの検索結果

4件中 1~4件を表示

国登録文化財 旧小河家別邸

明治時代後期に、小河秀太郎氏が別邸として建築したもので、敷地は南北に細長く、弓形に曲がる北面道路と南側の露地に面して広大な屋敷が広がっています。

 小河家住宅は別邸として小河秀太郎が建設しました。秀太郎は米穀商を生業とした太吉の次男として弘化4(1847) 年に生まれ、9才の時に石州(島根県)浜田藩士戸川家の養子になり、廃藩置県後三木市に帰り明石の豪商米沢長兵衛の教えを受けて実業家の道を歩みました。明治9(1876)年に酒造業を開始し、その後、三木銀行の創立に関与するなど金融業も営み、県会議員の任を受ける等、当地の有力な実業家でありました。

建設年代は不詳ですが、所有者の聞き取りから考えて、明治時代後期と考えられます。屋敷は、北面中央に「表門」を構え、表門から西側に「番人小屋」を配置し、北西隅から西面境界に沿って南北に、「納戸」及び「女中部屋」等の付属的な建物を構え、敷地の南半に主屋群を建てています。「主屋」はロの字型の平面計画とし
て中央に中庭を設け、北側から東面にかけて主要室を配し、北西隅から西側にはユーティリティを集めて南面を「離れ」とする。南側の離れは、「裏門」の寄付脇から階段を挟んで、六畳和室、八畳和室の表門アプローチ2室続の部屋を構え、東に蔵前、「土蔵」を設けています。なお、敷地の周囲は約1m~2mの高さに石垣を積み表門の東端から北面、東面、南面の裏門までを高塀で囲んでいます。

 主要室には上段の間が設ける等、明治時代の國包(現在、加古川市)建具工や大工の水準の高さを示す一品となっている。使用された技術は、見えがかりは全て和風で、見え隠れも小屋組を和小屋組にする等、伝統的な技術によって建設されています。

 明治時代となり金融業を初め、各種事業に成功した者が、近世主屋小屋組から続く当地の技術を屈指して全国から取寄せた銘木を惜しげなく使用し、自由に表現した建物で、再建が困難な貴重なものとなっています。


イベントなど「旧小河家別邸」の情報は、下記でご覧いただけます。

三木市商工観光課のページ

好古館(歴史博物館)

 好古館(歴史博物館)は、小野藩一柳家の陣屋跡にたっており、小野市の歴史、芸能、風土に関する資料など収蔵、展示しています。また実体験コーナーでは、小野の歴史と風土を映像により紹介しています。
 好古館の敷地内には柳風亭(茶室)があります。ここでは、茶道を通して日本の純粋な伝統文化にふれ、わび、さびといった閑寂で潤いのある美が堪能できます。茶庭は、木、竹、石のそれ本来が持つ自然な姿が見事に調和し、しっとりとした風情が感じられます。
 柳風亭の開館時間:9:00-20:00

瑞光寺

紅葉の名所
臨済宗天龍寺派で、釈迦三尊(現世苦悩から救済)、聖観世音菩薩(災難、苦しみを救済)が安置されています。
元弘2年、夢窓国師の開基といわれています。
竜宮城のような門をもつこのお寺は、太平記にも登場する赤松則祐が母の菩提を祀るために夢窓国師を招いて建立したとされています。
また、紅葉の名所としても有名な庭園は、池泉観賞式と枯山水様式を駆使してつくられています。
弁天堂のお守りと山門脇の大カヤも必見です。

量興寺(多哥寺遺跡)

650年頃に推古天皇の勅願寺として建立されたと伝えられる多哥寺の後身です。
平安末期に藤原顕頼が再興し、高倉天皇の母君の寺として寺格が高まり、量興寺となりました。
これまでの調査で、南大門、塔、金堂、回廊、鐘楼、参道が確認されており、多哥寺が播磨地域で最古級の寺で、多可郡の中心となり郡を代表する寺院であったことがはっきりしました。東西64㍍、南北約80㍍の大きな規模を持ち、四天王寺と同様の伽藍配置のお寺でした。
12世紀には九篠家の荘園となって、僧房や食堂はとりこわされて水田になりました。
現在、多哥寺跡に立つ量興寺には、巨大な塔心礎が残り、出土した瓦から、播磨地方でも最古の寺院のひとつに数えられています。
また、梵鐘鋳造の遺構は奈良時代のもので、町の指定文化財に指定されています。
町指定有形文化財 多可寺梵鐘鋳造遺構

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