スマートフォン用サイトを表示

日本の原風景が残る兵庫県北播磨地域で心豊かな感動体験を

 アクセスランキング - 観光
 おすすめコンテンツ
 ログイン【更新施設専用】

ユーザ名:

パスワード:

歴史・文化

観光・宿泊スポットの検索結果

19件中 1~10件を表示

日吉神社大祭

日吉神社は、天長7年(830)現在奥宮のある鎌倉山より神様を祀るため、近江の国、山王権現(日吉大社)が勧請されました。
祭りは毎年10月の体育の日前日に行われます。周辺地域より6基(以前は7基)の神輿が集まり、境内での6基の神輿による巡行は勇壮です。

東光寺田遊び鬼会

白雉二年(651年)法道仙人による開基である万願寺が天文七年(1538年)の兵火により消失し、南の坊のみが再興されました。これが東光寺です。
田遊び・鬼会は、毎年1月8日午後7時頃より始まります。室町末期頃には既にあったと思われ、その後中断と再開を繰り返してきました。国指定無形民俗文化財に指定されています。
  田遊びは五穀豊穣を祈る儀式であり、農作業のしぐさを奉納します。
  鬼会は悪霊や災難を追い払うもので、たいまつや矛を手にした鬼が現れ、激しく暴れまわります。

周遍寺

孝徳天皇の時代白雉2年(651年)法道仙人が、この山の北の峰に石に写した妙経一部全文を納め、経の尾と号し堂宇を建立したことにはじまるという古刹です。また、「広峰文書」によると1336年九州に落ち延びた足利尊氏を追う新田義貞軍をくい止めるべく、今川頼貞の軍が布陣したとあります。しかし、天正6年(1578年)羽柴秀吉軍の中国攻めの際、兵火にかかり伽藍を焼失しました。

 長らく荒廃していましたが、天和2年(1682年)地元の里長高田六郎右衛門正恒兄弟らが中心になり伽藍を再興しました。その後、同山一院の密蔵院や地元の多くの方々のご尽力により幾度かの改修を重ね現在に至っています。 境内は、中央東向きに如意輪観音菩薩を本尊とする本堂や右隣の開山堂、庫裏西側の大師堂や磐座上の鐘堂などが建っており、その周りを四国八十八ヶ所めぐりが整備され、道中には高田六郎右衛門が寄進した石造多層塔などが残っています。 また、当寺に至る参道は、春は桜、秋は紅葉が美しく、境内からは遠く明石海峡大橋や淡路島などを望むことができ、歴史と自然豊かなハイキングコースとして加西観光二十選にも選ばれています。

経の尾
本堂裏の四国88ヶ所巡りの40番札所横から0.5km登ったところの三角点のあたりで、仙人が石に写した妙経を納め、堂宇を建立し、周遍寺草創の地とされる場所。北側の樹木が伐採され、眼下に南産業団地と加西市東部、その奥に鎌倉山、右手に西脇・加東の山々が望見できるます。

毘沙門天洞窟
上記山頂から樹木のトンネルをもぐり西へ約1kmの場所にあり、法道仙人が法華山行の途中に休憩したといわれるところで、毘沙門天が祭祀され同寺の奥の院とされています。入り口に碑と灯篭が建っています。

酒見寺

 天平17年(745年)行基菩薩の開山と伝えられています。当寺は度々兵火に焼かれていますが、中でも天正年間の三木攻めの際の兵火では境内ことごとく焦土と化したといいます。その後再興されたのが現在の伽藍です。このような兵火にあいながらも、寛文2年(1662年)に再建された国重要文化財の多宝塔(写真)や、県重要文化財の鐘楼など見事な文化財を有しています。
 また、仁平3年(1153年)の旱魃のとき近衛天皇の勅願により播磨六山(書写、増位、八徳、妙徳、法華、蓬莱)の僧が集まり、大般若経を読んで雨乞いをすると、たちまち雨が降り、それ以後は毎年勅使を迎えての恒例行事になったといいます。隣接する住吉神社の勅使塚はその記念塚です。

住吉神社北条節句祭

養老元年(717年)老翁老媼の神様が五王子を伴い鎌倉山(河内町)に来られました。随従していた佐保神は北条へ行くように勧め、その途中神宝を盗んで、川東に逃げました。この佐保神が祀られ佐保神社(社町)になりました。
  その後、翁と媼は王子を伴い北条に来られて、北条に六町歩の門田を持つ山酒人に宿泊を願い出ました。酒人は手厚くもてなした後、神である証拠を見せてほしいとお願いしました。すると、翌朝には六町歩の門田が悉く平地となり、苗が大きな松に変わりました。ここに山酒人が神殿を造り祀ったのが住吉神社(当時は酒見神社で明治期に改称)だといわれてます。
  この住吉神社で桜の季節の訪れとともにはじまる「北条節句まつり」は優美さと勇壮さが織りなす華やかな春の祭りとして有名で、播磨三大まつりの一つに数えられ、長い伝統を引き継いでいます。東西の神輿、14台の豪華な屋台が、街中での巡行と勇壮な宮入を行い、古式ゆかしい鶏合せ神事、龍王の舞などが奉納され、祭りは終日大観衆でにぎわいます。

山伏峠石仏

山伏峠の中ほどに形態を異にする石棺仏がある。南北朝時代の石棺仏として貴重である。
 右の1基(写真上)は石英粗面岩製で現高2.25m、幅1.24m、厚さ40cmの巨大な家型石棺で、蓋石の内側に宝珠形の光背を彫り、蓮華座上に定印の阿弥陀座像を彫っている。建武4年(1337年)の紀年が見出された。
  左奥の1基(写真下)は、現高2.1m、幅1.05m、暑さ18cmの長持型石棺で蓋石の内面に地蔵半跏像を彫り、左右の両側に化仏の小像を3体、3段に半肉彫りしている。左右4個の縄かけ突起があり、暦応元年(1338)の刻銘がある。

玉丘史跡公園(根日女ロマンの郷)

 玉丘史跡公園内には、根日女の物語の舞台となった玉丘古墳を中心とする6基の古墳と、移築復元した1基の古墳があります。また、芝生広場や湿地観察園、野鳥観察デッキなどが整備されています。
 玉丘古墳は、国史跡に指定されている前方後円墳で、主軸の長さ109m、後円部の径64m、高さ9m、前方部の幅54m、高さ7mをはかり、周囲には幅約20mの堀をめぐらしている兵庫県で6番目の規模を誇る、5世紀造立の古墳です。また周辺には笹塚古墳、クワンス塚古墳等、計9基の古墳があり、古墳時代中期の良好な古墳群を形成しています。

八幡神社獅子舞

幡神社は加西郡史によると、勧請は永正二年(1505年)といわれ、由緒から飾東郡松原村(姫路市白浜町)鎮座の神を分霊したものと思われます。
 獅子舞は、明治20年小野市来住町から伝わったもので市の民俗文化財の指定を受けています。
 伝承されている舞は13演目ありますが、中でも「谷渡り」は、6mの梯子を山形に組み、その段上で舞うもので迫力満点です。

鶉野飛行場跡

姫路海軍航空隊、川西航空機姫路製作所鶉野工場跡
 姫路海軍航空隊鶉野飛行場は、太平洋戦争が悪化しはじめた頃、優秀なパイロットを養成するため、昭和17年に着工し、昭和18年に完成した旧日本海軍の飛行場跡です。
  飛行場の建設に伴い、昭和18年10月には姫路海軍航空隊が開設され、同時に航空整備、兵科、運用、主計、航海、機関、通信、工作、兵器、砲術、医務等の兵隊が在隊していました。
 また、飛行場の西南には、川西航空機姫路製作所鶉野工場があり、「紫電」「紫電改」など 500機余りの戦闘機が組み立てられました。 当時、航空隊には、17歳から25歳までの若者が全国から約320名集められ、ここで30時間の飛行訓練を受けた後、各航空隊へと散っていきました。
  昭和20年には、練習生による神風特攻隊「白鷺隊」が編成され、終戦までに63名の尊い命が失われました。
  今は、飛行場跡は防衛庁が管理しており、一部は神戸大学農学部の敷地として利用されています。

普光寺

蓬莱山普光寺は白雉2年(651)法道仙人の開基の寺で、播磨西国第17番霊場です。また、モリアオガエル、ヒメハルゼミの生息地で有名です。
 昔、法道仙人がこの山に登った時、千手観音像を見つけました。その時の声に従い千手観音菩薩を祀り、建てたのが普光寺の始まりとのことです。
 最近では、鎌倉山(452m)を中心にした普光寺背後の山稜に行者道を利用したハイキングコースが整備され、石像物をめぐりながら自然を満喫することが出来ます。

トップ旨い。北播磨観光・宿泊スポットフォトライブラリ北播磨チャンネルお役立ちリンク当サイトについて個人情報保護方針お問い合わせ
Copyright © 2007-2016 北播磨広域観光協議会 All rights reserved.