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歴史・文化

観光・宿泊スポットの検索結果

19件中 11~19件を表示

日吉神社大祭

日吉神社は、天長7年(830)現在奥宮のある鎌倉山より神様を祀るため、近江の国、山王権現(日吉大社)が勧請されました。
祭りは毎年10月の体育の日前日に行われます。周辺地域より6基(以前は7基)の神輿が集まり、境内での6基の神輿による巡行は勇壮です。

普光寺

蓬莱山普光寺は白雉2年(651)法道仙人の開基の寺で、播磨西国第17番霊場です。また、モリアオガエル、ヒメハルゼミの生息地で有名です。
 昔、法道仙人がこの山に登った時、千手観音像を見つけました。その時の声に従い千手観音菩薩を祀り、建てたのが普光寺の始まりとのことです。
 最近では、鎌倉山(452m)を中心にした普光寺背後の山稜に行者道を利用したハイキングコースが整備され、石像物をめぐりながら自然を満喫することが出来ます。

東光寺田遊び鬼会

白雉二年(651年)法道仙人による開基である万願寺が天文七年(1538年)の兵火により消失し、南の坊のみが再興されました。これが東光寺です。
田遊び・鬼会は、毎年1月8日午後7時頃より始まります。室町末期頃には既にあったと思われ、その後中断と再開を繰り返してきました。国指定無形民俗文化財に指定されています。
  田遊びは五穀豊穣を祈る儀式であり、農作業のしぐさを奉納します。
  鬼会は悪霊や災難を追い払うもので、たいまつや矛を手にした鬼が現れ、激しく暴れまわります。

玉丘史跡公園(根日女ロマンの郷)

 玉丘史跡公園内には、根日女の物語の舞台となった玉丘古墳を中心とする6基の古墳と、移築復元した1基の古墳があります。また、芝生広場や湿地観察園、野鳥観察デッキなどが整備されています。
 玉丘古墳は、国史跡に指定されている前方後円墳で、主軸の長さ109m、後円部の径64m、高さ9m、前方部の幅54m、高さ7mをはかり、周囲には幅約20mの堀をめぐらしている兵庫県で6番目の規模を誇る、5世紀造立の古墳です。また周辺には笹塚古墳、クワンス塚古墳等、計9基の古墳があり、古墳時代中期の良好な古墳群を形成しています。

礒崎神社

礒崎神社の馬場先には忠臣蔵で知られる赤穂藩の重臣、奥野将監の屋敷跡があります。

 奥野将監は事件後、大石内蔵助とともに藩士の取りまとめにあたったが、浅野家再興の望みが絶たれると討ち入り一派から脱盟してしまいました。

 その後、一時隠棲していたのが磯崎神社の社務所脇の山林といわれています。

那珂ふれあい館

歴史と文化の体験学習の場
妙見山麓に位置する那珂ふれあい館。ここでは、東山古墳群をはじめ、町内から発掘された出土品などが展示され、陶棺も原形をとどめた貴重な状態で見ることができます。体験学習室などでは、四季折々のイベントが体験でき、いろんな人とふれあうことができます。野外には、播州歌舞伎などを演じられる舞台があります。山菜を採取したり、山に登ったりと今までにない大自然を感じることができる情報発信の拠点となります。また、東隣には、県内最大級の石室をもつ1号墳など、古墳時代後期の円墳16基を復元した東山古墳群公園があり、いにしえの文化を感じることができます。
東山古墳群

酒見寺

 天平17年(745年)行基菩薩の開山と伝えられています。当寺は度々兵火に焼かれていますが、中でも天正年間の三木攻めの際の兵火では境内ことごとく焦土と化したといいます。その後再興されたのが現在の伽藍です。このような兵火にあいながらも、寛文2年(1662年)に再建された国重要文化財の多宝塔(写真)や、県重要文化財の鐘楼など見事な文化財を有しています。
 また、仁平3年(1153年)の旱魃のとき近衛天皇の勅願により播磨六山(書写、増位、八徳、妙徳、法華、蓬莱)の僧が集まり、大般若経を読んで雨乞いをすると、たちまち雨が降り、それ以後は毎年勅使を迎えての恒例行事になったといいます。隣接する住吉神社の勅使塚はその記念塚です。

金物古式鍛錬

 三木金物古式鍛錬技術保存会では、鍛冶の伝統技術を伝えていくため、鋸(のこぎり)、鑿(のみ)、鉋(かんな)、鏝(こて)、小刀(こがたな)の製造業者が交替で公開実演を実施しています。
 ふいごを使い、古式ゆかしく金物を鍛える古式鍛錬実演です。金物古式鍛錬

鶉野飛行場跡

姫路海軍航空隊、川西航空機姫路製作所鶉野工場跡
 姫路海軍航空隊鶉野飛行場は、太平洋戦争が悪化しはじめた頃、優秀なパイロットを養成するため、昭和17年に着工し、昭和18年に完成した旧日本海軍の飛行場跡です。
  飛行場の建設に伴い、昭和18年10月には姫路海軍航空隊が開設され、同時に航空整備、兵科、運用、主計、航海、機関、通信、工作、兵器、砲術、医務等の兵隊が在隊していました。
 また、飛行場の西南には、川西航空機姫路製作所鶉野工場があり、「紫電」「紫電改」など 500機余りの戦闘機が組み立てられました。 当時、航空隊には、17歳から25歳までの若者が全国から約320名集められ、ここで30時間の飛行訓練を受けた後、各航空隊へと散っていきました。
  昭和20年には、練習生による神風特攻隊「白鷺隊」が編成され、終戦までに63名の尊い命が失われました。
  今は、飛行場跡は防衛庁が管理しており、一部は神戸大学農学部の敷地として利用されています。

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