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観光・宿泊スポットの検索結果

13件中 1~10件を表示

どっこいさん[六地蔵]

高さ1.3m、幅1.5m、上部に35体、下部に6体が線刻されている。石材は横にある横穴式古墳の天井か蓋石であったらしい。地元での呼び名は「どっこいさん」

ゆるぎ岩

その昔、法道仙人が「善人が押せば動き、悪人が押してもびくともしない。この岩を押して動かないときは自分に邪心があるから、罪悪を懺悔して正直慈悲の人に立ち返りなさい」と言って心を試させたと伝えられています。ゆるぎ岩は、畑町イザナギ山の中腹にあり、昔から「ゆすり岩」ともいわれ神石とされてきた岩である。岩は二つならんでいるが、東方の岩が「ゆるぎ岩」で、丈夫が尖って中部でふくらみ、下部が細くなった立卵形の高さ4メートル、最大周囲6.6メートルをはかる巨岩です。下にある岩の上に直立しておいたようになっており、人の力で押すと揺れ動くので、この名がつけられています。

八幡神社獅子舞

幡神社は加西郡史によると、勧請は永正二年(1505年)といわれ、由緒から飾東郡松原村(姫路市白浜町)鎮座の神を分霊したものと思われます。
 獅子舞は、明治20年小野市来住町から伝わったもので市の民俗文化財の指定を受けています。
 伝承されている舞は13演目ありますが、中でも「谷渡り」は、6mの梯子を山形に組み、その段上で舞うもので迫力満点です。

凍りこんにゃく

戦前は保存食として重宝され、周辺には約400軒の製造業者がありましたが、現在は丹治集落にある1社のみとなっています。凍りこんにゃくは厳しい冬(通常11月中旬~3月中旬)に「凍結」させて「解凍」させる作業を繰り返して出来上がります。
藤田平右衛門氏は観音寺出身で、特に凍りこんにゃくの振興に力を入れました。おかげで、当地の特産品の一つとして知られるようになりましたが、製造方法が悪くて売れず、ついに倒産者が出る始末でした。そこで平右衛門は、多可・氷上・加西・神崎の4郡の同業者を集めて組合を作り、自ら組合長として製造方法について研究を重ね、品質を改良し検査方法を定めて統一規格で販売できるようにし、販路の拡張にも努めました。その結果、当地方の凍りこんにゃくの名声は高まり、利益が増え、主要産業としての基礎が確立しました。こうして、組合基金を驚異的な七万余円にまで育て上げました。
兵庫県凍りこんにゃく同業組合では、平右衛門氏の三十年もの永きにわたる功績を称え、子爵の加藤高明氏に題字を、農務局長道家斉氏に撰文を依頼し、大正8年に顕彰碑を立てました。今では、門村の島田橋から観音寺地内に移され、郷土の特産品の歴史を物語る由緒ある石碑です。

加都良神社

ご祭神は加都良之命で、家内安全、開運招福などのご利益があるといわれています。
創立年月日は定かではありませんが、江戸初期もしくはそれ以前の創立と推測されています。
この神社では、昭和のはじめごろまで鶏合わせが行われていました。
元日の朝、お当が八柱権現の前で「大事小言、村まんべんに、五穀成就」と唱え、元気に暮らせるよう拝んだ後に、鶏を合わせ、鶏の鳴き声で豊作を占いました。
その後、加都良神社での鶏合わせはすたれましたが、町の播州柏保存会により大切に保存・飼育されています。また、平成元年には町文化財に指定され、種の保存が図られています。

孝行のメッセージ

平成7年、『孝行』の発信基地として『森安こはる』生誕100年の年に、『こはる公園の整備』と『孝行祭り』を開催しました。また、翌年、平成8年からちょっと照れくさい孝行のメッセージの全国公募を開始しました。

森安こはるさんとは、とても親孝行な女性で、その行いに対して大正4年、婦人世界社が日本3孝女に選定し、県知事賞を受けられた方です。4歳の時に母親のいない家に養女に来たこはるさんは、家の仕事をよくし、また父親が怪我をして働けなくなった時は、仕事に出て自分の食事を我慢してでも父親に食べさせたと言われています。

孝行のメッセージは、北は北海道、青森から南は沖縄、鹿児島、宮崎などまさに全国から寄せられています。審査員は村人で、気に入った作品の上に碁石を置いて決定します。平成8年から12年の5年間に13,305通のメッセージが寄せられ、そのうち156通を厳選し『ちょっと照れくさい 孝行のメッセージ』(家の光協会から1冊1,260円)を全国発売しています。

山田錦発祥の碑

酒米「山田錦」発祥の町 多可町
国道175号から西へ、多可町の石原坂トンネル出口に、「山田錦」誕生のきっかけをつくったと伝えられる山田勢三郎翁を讚える「頌徳碑」や、山田錦が稲穂のたれる様子を表したモニュメント・「山田錦発祥の地」の碑が建てられています。
山田錦は酒米の王様と呼ばれる米で、全国で酒米好適米と認定された約30品種のうちの一つです。なかでも加古川の豊かな水が育んだ山田錦はその風味に加え、育成が難しく災害から守り育てるのが並大抵の苦労でなかったことから、幻の酒米として珍重されてきました。
“山田錦”の名前の由来には諸説ありますが、明治の初年頃、多可町中区東安田の山田勢三郎氏が在来種の中から改良を重ねたことが誕生のきっかけと伝えられています。また、品種としては藤川禎次氏が昭和11(1936)年頃完成させました。
現在でも、生産に取り組む農家は多く、収穫された山田錦は全国各地の蔵元へと出荷されています。山田錦が誕生してからちょうど70周年を迎えた平成18年3月5日には、地方自治体として初めて「日本酒で乾杯のまち」を宣言。『山田錦』が生まれた自然と文化を尊び、日本文化に深い関わりを持ってきた日本酒をこよなく愛することを高らかにアピールしました。

弁慶の足跡

跡部の美嚢川に近い田の畦道に二つの大きな石が立っています。その一つには人の足跡のような窪みがあり、弁慶の足跡と呼ばれています。
加東郡の三草山の戦いで敗れた平家軍は三木を縦走して一の谷へ逃げのび、これを追う源義経軍も三木を通ったといわれていることから、このような伝承が生まれたのでしょう。
二つの石の表面には仏像が刻まれ野仏となっていますが、古絵図によるとこの場所は廃寺となった常蓮寺山門の跡とおもわれます

敬老の日提唱の地の石碑

「敬老の日」発祥の町 多可町
多可町は「敬老の日」発祥の町です。高さ約2㍍の石碑が現在も八千代公民館の玄関脇にあり、前面には「敬老の日提唱の地」と彫り込まれています。戦後の動乱期、野間谷村(旧八千代町)で初めて村主催の敬老会を開催し、長い間社会に貢献されてきたお年寄りに敬意を表すとともに、知識や人生経験を伝授してもらう場を設けました。そして、9月15日を「としよりの日」と定め、村独自の祝日とすることにしました。その後、昭和41年、「敬老の日」は体育の日などとともに国民の祝日に加えられたのです。多可町ではこの敬老の精神をこれからも大切に受け継いでいきます。

松か井の水

昔、幕府の直轄地であった松井庄(加美区南部)は、生野代官所の管轄にあったこともあり、生野への道である奥荒田から越知谷に通じる高坂は、交通の要所として人の行き来が盛んでした。その坂の途中に松か井の水の飲み場がありました。この清水は『水のみの水』という通称で親しまれ、坂道を行き来する人は、必ずそこで水を飲んでいました。現在においても、より美しくよりよい環境のもとで水を汲んで欲しいとの願いから、平成13年環境整備を行いました。以降、集落でも年5回程度、掃除・植木の剪定などを行い、四季折々の風情豊かな自然を大切に守っています。この取組が認められ平成20年度に「平成の名水百選」に選ばれました。

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